Twitterで絡んでくださっている方には、意外といわれるかも知れませんが、実は私は相当怒りっぽい人なんですよね。
今回の記事では怒りをテーマに、エピソードやコラムを正直に書いてみました。
私の人生のテーマともいえるくらい深く関わっているので、ぜひ最後まで読んで楽しんでいってください。
昔、警備員の仕事をしていたときの話です。
ヤクザっぽい人たちが変なところに車を停めているのを見て大喧嘩したことがあるんですよ。
相手は2人。
当時23歳くらいだった私は、車をどかすよう指示をした。だけどどかさないので激昂。近くにいた先輩があわててなだめてくれました。
その先輩に対し、やくざっぽい2人は「お前んとこヤクザ雇ってんのか!」と言って帰っていきました。
いや、ヤクザはそっちなのよ。
なぜ怒るのか?
いよいよ30代にさしかかったころ、私はこう悟ります。
「社長室を激しくノックすることや、幹部となぐりあいばっかりしていたら、会社を辞めざるを得なく、社会で生きていくことができない」
実際に殴り合ったことはありませんが、なりかけたことはやはり何度かあります。
まずは、なぜ怒りやすいのかを分析してみた。
怒りやすい理由の大きな要因は、「相手に期待する」からだそうです。
「こうしてほしいな~、言うこときかなきゃ怒!(オコ!)」ということです。
私の場合、もともと「こうじゃないとダメ」という概念が根強く頭にこびりついているようで。
会社でどなっている人がいたら、その人にどなるし、きつい言い方をされたら「何?いまの言い方」と振り切って怒っちゃいます。
「店長さんいらっしゃいますか」を大声で言おうと思ってから言うまでがすごく早い。
高学生のとき、友人が「お金がなくて高校へ行けなくなった」と言って学校へこれなくなったときに、友人の家まで行ってその人の親にどなりに行ったことがあります。友人に止められて未遂で終わりましたが。
体が自然に動いてしまうこともあるんですよね。ただ、暴力沙汰はしたことがありませんのでご安心を。
母によく「あんたは正論派やからね」と日常的にチクチク怒られています。
直したいとはずっと思ってるんですけどね。ほんとですよ。
こないだは妹を叱りました。話していたら突然機嫌が悪くなるからです。僕だけに限らず親や他の兄弟に対してもそうなります。
そしたら「妹って思われたくない」っていうんですよ。。全く意味がわからないのですが。
妹の件は、時々少し注意したり、耐えたりと長年耐えましたが、こないだサイヤ人の血が騒いでケンカに。
ごめんやけど妹だから耐えてた、と。妹じゃなかったら機嫌悪い人とは一切付き合いしないよって注意しました。
関係がこじれるかなと思ったけど意外や意外。 今も妹とはラインする仲です。
ただ、まぁ~ものすごく反発する子なので適度な距離感を保ったほうがいいなと察しました。
結果的には妹は自分が機嫌悪くなっていることに気付いてなかったということでした。
怒る理由は、
- もともと固定概念が強いということ
- 自分だけの正論・正義感が強いため
でした。
怒りは自分だけのもの
突然ですが、私の家は天理教の布教所です。
といっても細々とやっている小さな布教所ですが。
天理教では怒りは心のほこり。なので常にほこりを払ってきれいにしなさいという教えがあります。
また、一生懸命ではない証拠でもあるという教えでもあるんですね。
確かに一生懸命働いていたら怒っている暇などないかもしれません。
怒りについて深く追及していると、やがて「怒りというものは自分が作り出しているもの」ということに気づきます。
「そうか!なら、怒りを一切忘れてしまえばいい!」
その10分後には「あの人はむかつくことを言った」と思い出し怒りが始まるんです。いや~もうどうしようもありません。私の心は不満でいっぱいのようです。
怒りを忘れることはできませんでした。
もう1つ気づいたことが。
怒り方がすごく下手
以前、会社でどなる人がいたのですが、その部下の主任さんが「まぁまぁ」となだめていたんですよね。ねちねちと毎回のように怒られているのに、その主任さんは反発しないんです。
まるでどなる人にその醜い姿を、鏡で見せているかのような態度なんですね。
徐々にどなる回数が減りました。最終的に暴言を吐いてるのを私が見つけてジャックバウアーごとく追いかけまわして注意したときを境目にその人は暴言を吐かなくなりました。
これは私がすごいんじゃなくて、主任さんのやり方が本当にすごいな。と。 耐えるというか、どなると周りやご自身が辛くなりますよというのを自然に教えた。それでだんだんとどなる人の心が治まっていった。なんとも、見事な心の治し方だと思いませんか。
私の場合は、カーン!といきなりキレる。だから周りもひくし対人関係が終了する。
待っているのは孤独死。
では、どうすればいいか。
パワハラの専門家や、労働基準監督署にきいて教えてもらったことなのですが、パワハラを指摘するのではなく、まず「あんな言われ方されたら傷つきます」と相手の心に訴えかけることが大事だと。
意外なことにパワハラをしてる人ってパワハラをしていることに気付いてないんですよ。びっくりですよね。
私は、上手に怒ること、叱責すること、注意することが全くできていなかったんです。
感情的にならず「こんな言われ方されたら傷つきます。なので、こうしてほしいです。」と相手の心に訴えて、修正案をうながす。これが効果的だということでした。
主任さんの場合は、言わずして伝えたわけですから、すごいですよね。
すなわち、私は土足で他人の家にあがりこんででしか注意できない人間だったということです。
ここまで自分のことを分析して理解するまで何年かかったことやら。
それからはちょっとずつ怒り方を変えてみよう。そう思うようになりました。
怒りによる弊害
あまり怒らない人になりたい。そう思って常々生きていますが、やっぱり怒ってしまう。
そうなると、さまざまな弊害が起こります。
まずは対人関係。
高校生のときお金を貸した相手が返さなかったので、土下座させました。
そのあと一生トラウマになるような復讐をされて、人間不信になり友人づきあいができなくなりました。たった5000円でも連鎖すると恐ろしい結末になるものです。
当時の場所、土地がもちろんのこと職場も人間も怖いですし、もっというと日本全体が怖いと思うことも。
まぁ、結果的にはボロ雑巾になっちゃった私を母が迎えいれ介抱してくれたので、改心し、心は救われました。
当たり前ですが、本当に母にだけは計り知れない御恩があり頭が上がりません。
変な話ですが、もしかしたら導いていただいたのかなとも思います。改心とか、天理教に深くつながるようになっていたのかも知れません。いや、自分がそっちのほうにいったのか?
やはり、うーん。そう考えると、怒ってばっかりもいられませんよね。猛省の日々であります。
あとは、日常生活でもあります。
例えばレジの人の態度が悪いだけでも、その日心が疲弊して寝れなくなっちゃったりするんですね。地方へいったときに近くのコンビニへいったら「マスクは!?」とキレられ。
こっちが悪いわけですから、なんにも言い返せない。でも、なんだその言い方は?と胸ぐらをつかんだら監視カメラで見られているから捕まる・・と考えたところで「すみません、忘れました」と言葉が出たんですね。
僕は怒っても、怒らなくとも結構心にダメージが残るんですよね。
天理教では、悪は善でおさめなさいという教えがあります。
これは言葉ではなく行動で示せということで、「何その態度?」とキレるじゃなくて「ありがとう。」という態度、あるいは言葉の中にある善で相手の反省を促すということです。
常々やっているつもりではいますが、やはり心にほこりが積もっているのでしょう。枕をぎゅー!と噛むこともしばしば。まだまだおこちゃまです。
なんでも切る、断つ、断ることに関しては私の右に出る人はいないほど、スパスパとなんでも切る癖があるんですよね。これは、良いケースもあれば悪いケースになることもあるんです。
良いケースは悪いものを断つとき。内ではタバコとか不摂生、外では迷わず決める。いらないと断るなど。
悪いケースは良いものを断ってしまっているとき。遠慮やおごりでいらないと断ってしまったり、恋人などの関係をばっさり終わらせたり。
断つ、切るという力の使い方が下手というか、きちんと使えていません。
だからこそ弊害も起こりますし、不満不平を抱える原因のひとつでもあるのだと思います。つまり、自分にすべて帰ってきているのだなと。
怒らない人の特徴
現代社会は、ネットで簡単に誹謗中傷を書き込める時代です。
すぐにSNSでたたくことができますよね。
そもそも、日本は言葉で叩く癖が強いです。
もちろん日本の低賃金、高い税金、教育の不十分などさまざまな問題はありますが、インフラをのぞいてみると人を叩く風潮が根強くあります。
でも、なかには怒らない人もいます。
職場で、そういう人いませんか?
いつもニコニコしていて、愛嬌があって、何も問題がなさそうな人
どうせ、恵まれていて環境が神がかってるんだろ。 と思いがちですが、そうではありません。だってあなたと給料がほぼ同じで、勤務時間も同じなわけですから。
プライベートの時間で、どう心を使っているかが問題なんですよね。
やはりストレスを上手に回避できる人。これです。もともと才能があってやってのける人もいますが、世の中の情報に惑わされず人間としてまっすぐ生きている証拠なのだと思います。
私も怒らない人生を目指しているわけですから、のどから手が出るほどこのテーマの正解を欲しています。
では具体的にどうやってるのか?
人として生きるための喜び、楽しみを知ること。世の中の汚れや、汚いものを一切忘れ、自分が楽しめるように、自分が喜べるようにする心が大事なのだと思います。
怒りは必要なし?
では、怒りは弊害を呼ぶので必要ないのか?
人間なので怒るときは怒っちゃう。それは当たり前です。
怒るのではなくて、叱責する。親が子供に、上司が部下にすることはどれだけ上手に伝えれるか、これが重要だと思います。
人としての体温を忘れずに家族のような接し方で相手を傷つけない姿勢で、注意をしてあげる。
これが大切かと。
なぜ大事なのかはもうおわかりですよね。相手を傷つけないためです。
ですが、もう一つ利点が。
それは、自分の心を大切にすることができることです。
自分の心を大切にできたとき、平穏や温かみを感じることができるわけですね。
さてさて、今日だけでも自分の収益の低さに対する怒り、職場への怒り、顧客への怒り、物への怒りが消えないワタクシですが、今回の怒りコラムはこのへんで。
最後までありがとうございました。