父が亡くなってから火葬されるまでの話

Xで知った方もいるかも知れませんが、5月で父がなくなりました。

享年77歳

父は30代から心臓と脳の病気持ちだったので、ずいぶんもってくれたなぁ・・と

本日で49日を終え、母も家族も落ち着いたので亡くなってからのお話をしようと思います。

父が亡くなった

2024年の5月末頃。

突然父と別れることになりました。

僕は母と同居してる30代の男です。

慢性腎臓病と脳梗塞、心臓疾患を持つ父と母と3人暮らしでした。

たまたま介護の資格を持っていた母と僕が交互に介護しつつ、ヘルパーさんにも助けてもらい、支えあいながら生活していました。

そういえば、喪服がないことに気づき

近くに喪服屋がないか探していると見つかったので、母と一緒にすぐ近くの服屋へ行きました。

父から目を離したのはほんの15分くらいだったかなぁ・・・

家に帰ると、父が眠っているので母が「アイス食べる?」と問いかけると、すでに息を引き取った状態でした。

母パニック!救急車を呼ぶことに

まぁ、もちろんパニックになりますよね。

僕はすこし離れたところから見てましたが、眠っているというよりは全く動いていない

といった感じ。

あぁ、お父さん亡くなったんやな....

と思いながら心臓に耳を傾けたり、手首をつかんで脈を測ったりしましたがぴくりとも反応がありません。

母が「救急車を!」というので、

僕がスマホで救急車を呼ぶと、心臓マッサージしてあげてくださいと言われたので言われるがままやりました。

でも、やっぱり動かず

救急車が来ると、隊員の方が心臓マッサージを行い、父は運ばれて行きました。

病院にて

運ばれた先は大きな病院で、父は緊急用のベッドに寝かされていて、その横に母がいました。

(僕はあとから自家用車でついていきました)

母は父の手をさすりながら泣いていましたね。

お医者さんが、静かに「ピーー」という音を2~3分きいたあと、「死亡を確認しました」と告げてくれました。

父の胸のあたりは機械によるマッサージでやけどの跡がありましたね。

警察からの事情聴取

病院に警察の方がきました。

一応、空き巣に入られて他殺の可能性もあるとのことだったので、事情聴取へ。

生年月日や住んでる環境、カギの状態など細かいことを聞かれましたね。

家での調査も行われましたが、カンタンなものでした。

父が葬儀屋へ

病院でキレイにしてもらったあと、葬儀屋さんが迎えにきてくれます。

母が事前に用意していた、葬儀屋を用意してくれる会員?のカードを持っていたのですごくスムーズでしたね。

葬儀屋へ運ばれると、母だけが葬儀屋さんとプランの話をしたりします。

兄は近くにいたので、すぐに来てくれました。

一旦僕と兄は家へ。

妹も仕事をキャンセルして駆けつけてくれましたね。

次の日がお通夜、その次の日が葬儀だったかな。

寝ているよう

死んだ人の顔をみると寝ているようってよく言いますが、本当に寝ているようでした。

亡くなった瞬間は、あぁもう亡くなったな・・という生き物がぴくりとも動かなくなったあの感じとよく似ています。

しかし、キレイにしてもらった父の遺体はほんとに寝ているように思えました。

次の日、家族が喪服をきて、父の顔をみていますがみんなも「寝ているよう」と同じ意見でしたね。

お通夜

今回の葬儀屋には部屋が用意されているのですが、これがまたキレイな部屋だったんですね。

10畳以上の部屋が2つ、キッチンにお風呂・トイレ完備。

お風呂にいたっては、ミストが出たりジェットバスがあったり、テレビがついていたりと最新式のものでした。

父はこうゆう、人やモノに縁があるのか、いつも恵まれているんですね。

今回もすごく恵まれた環境だったなと。

その日はお寺さんに来ていただき、父に法名をつけていただいてお通夜が始まります。

家族だけのお通夜でしたが、しんみりするといった感じではなくて神々しい感じがしましたね。

1人泣いたら、また泣く

父を棺桶にいれるときに兄と僕が手伝うのですが、顔をみてるとやっぱり悲しくなるんですよね。

僕は一人暮らし9年経験しましたが、それ以外は母と父との暮らしが長かったので、思いも深かったです。

母が「1人泣いたら、また泣く」

と言っていましたが、すこし泣いた程度で案外そうでもなくスムーズに終わりましたね。

父が亡くなる前の状態が壮絶なものだったからかもしれません。

急に呼吸困難になったり、「先生~!」と急に叫びだしたりという日々が長く続いていて、体も弱いので介護が本当に大変でした。

「いちばん辛いのはお父さんやからね」と母に励ましてもらいながら、交代でオムツを交換したりしてましたが、母はほとんど寝ずに介護していました。

よそは適当にすませることが多いのに苦労されて、親の鑑だなぁと思いましたね。

葬式のあと火葬へ

翌日、葬儀がはじまります。

お寺さんに来ていただいて、お経を唱えてくださります。

僕が記憶している葬儀はこれで3つめ。

1回目は親戚の兄ちゃんが亡くなったとき、2回目は中学生のときに父方のおばあちゃんが亡くなったとき、今回が3回目です。

いずれも中学生以下のことだったので、あまり覚えてないのですが何ぶん若かったので葬儀がすごく長かったように感じました。

しかし、今回の葬儀はすごく短く感じましたね。

お焼香の前後は、泣いたりもしますが、僕的にはネガティブな思いはあまりありませんでした。

「お父さん、楽になって本当に良かったね」という思いが強かったです。

家族も同じ思いだったと思います。

葬儀を終えたら、出棺です。

出棺というのは、葬儀屋さんから火葬場へいくときのことでスタッフさんが見送りをしてくれます。

父の遺体を車に運んで、火葬場へいきます。

僕と兄は定員オーバーだったらしく、自家用車で追いかけます。

母は霊感がつよい人で、父がずっとそばにいるのがわかっていたみたいですね。

みんなが喪服で来てくれることと、きちんと葬儀をしてくれたことに感謝しているとのことで、この話を聞いたときは安心しましたね。

さらに、「葬儀のスタッフに心づけをしたのか」と言われたらしく、母は急いで用意されてました。

葬儀スタッフさんは断っていましたが、母が「主人がそうしろと言うと思うので」と言うと申し訳なさそうに受け取っていました。

この葬儀屋さん、ほんとに丁寧で優しかったですね。

父の火葬

父の火葬がはじまります。

火葬している間、休憩できる喫茶店みたいなのがあるのですが、そこでひとまず休憩。

30分~40分ほど休憩していると、呼び出されるので父の仏のところへ。

そういえば、父方のおばあちゃんが亡くなって火葬場で骨だけになったときに母が膝から崩れて大変だったな・・

ということを思い出し、一応気を張っていたのですが母の足取りはぜんぜん大丈夫でした。

火葬場のスタッフさんが、火葬を終えた父の仏の骨の説明をします。

「これが、のど仏で、これが歯で、これが・・・」

まるで博物館の気分でしたね。

なんの滞りもなく、火葬までキレイに終えました。

その後

母も僕もやっと楽になったということで、旅行でも行こうかという話がありました。

しかし、まずは49日(しじゅうくにち)までは家からあまり離れないようにしようと言うことになりました。

母もやっと安心して眠れるねって話をしていたのですが、どうも寝つきが悪いらしく。

なんで眠れないの?と聞いたら、「きちんと弔ってもらえなかった幽霊がいっぱいきて、線香のちかくに来て苦しい」というんです。

父はきちんとお通夜・葬式・火葬を家族にみてもらいつつ、お寺さんにも来ていただき、葬儀スタッフにもきちんと対応されたので、弔うことができました。

しかし、きちんと弔ってもらえなかった幽霊が「わしもわしも」と言ってわらわら出てきてしまい、母が苦しんでしまったそうなんですね。

そういえば、葬儀屋も病院スタッフもこんなことを言っていましたね。

「今は不景気で、きちんと弔ってもらえる人がかなり少ない」

孤独死が圧倒的に多く、きちんと弔ってもらずに、知らない人に火葬される....

そういった無念があるのでしょう。

最近はだいぶ眠れるようになったようです。

あまり詳しくは話しませんが、きっと「掃除」したんでしょうね。

ただいま7月13日の12時、ちょうど四十九日も終える頃です。

お父さん、よく頑張って生きてくれたなぁ。お母さんもほんとによく頑張った。

弔うって、すごく大事なことなんだなぁと学びが深かったです。

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