今回は劇場版ポケットモンスターココの感想と考察をわかりやすくまとめてみました。
こうだと感じた。ということを率直に綴っています。
ザルードの祖先がセレビィ説の考察が気になる人は、目次16のココの能力についてからどうぞ。
※ネタバレは極力ないようにしてますが、もしかしたらネタバレっぽい表現はあるかもしれません。あらかじめご了承ください。
劇場版ポケットモンスターココを観るきっかけ
私が劇場版ポケットモンスターココを観るきっかけになったのは、アニメ・映画・ドラマなど観るものが限られてきたからです。
アニメはドラゴンボールなど決まったものしか見ない。
映画・ドラマに至ってもそう。
アマゾンプライビデオや、dTVに加入しているのにも関わらず観たいと思うものが極端に少なく、このままでは作品を観ずに老人になってしまう!と感じたためです。
実はココを観るより先に、ミュウツーの逆襲も観ました。
どうやらミュウツーとココがポケモンのなかで感動できる2大映画と賞賛されているらしく、では観てみようかという流れで観ることになりました。
ココのストーリーに沿って感想・考察していきます。
最初のシーン・ザルード登場
いや・・こわ!(どんびき)
って思いました。
ザルードを見た瞬間、
「この悪いポケモンとサトシのポケモンが戦うんだな」
と勘違いしちゃいました。
それくらい凶悪な雰囲気がありましたからね。
さらに、森にいる善良なポケモンを脅したりして、食べ物を取りまくります。
ザルードは悪いポケモン、という認識が強かったです。
ココとの出会い
ザルードは赤ちゃんのココと出会います。
なぜか、悪いポケモンであるザルードはココを拾います。
しかし持ち帰っても人間は臭いようで、ザルードの仲間から嫌われました。
のちに捨てられなかった理由を語りますが、ネタバレになっちゃうので伏せておきます。
私はこう思った。
「栄養とか足りてる?」
って。
病気とか大丈夫なんだろうか、歯医者に行けないから大変だよね。とか・・変な視点で物事を考えてしまうはめに。
大盛りの牛丼を2つ買ってタイムマシーンにのり、晴太と節子に食べさせてあげたくなるあの気持ち。
やっぱり見るからにザルードが育てるには厳しすぎると感じたんですよね。
知らないポケモンがたくさん登場
森にすむポケモンはザルードだけではなく、たくさんのポケモンが登場します。
実はレッド(ゲームボーイ)とソウルシルバー(DS)しかやったことがない私。
それ以降のポケモンは全然わかりません。
もちろんココに登場したポケモンもピカチュウとニャース以外わかりませんでした。
だからザルードもどこかのゲームで出てきたポケモンなのかな~となんとなく考えていたのですが、実はこの作品のオリジナルポケモンだったみたいですね。
一番驚いたのはモンスターボールの模様が入っているポケモン。
「モンスターボールに擬態できるんだ!」
と少し興奮しました。名前はモロバレルさん。
モロバレル? え?あなた名前・・
バレては意味がないのや
でも、モンスターボールに擬態してしまったら人間に持ちされてしまう危険性があるのでは?とも考えました。
ココの性別は男?女?
ココの性別は父のザルードが「息子」と言っているので息子で間違いありません。
白塗りはしていますが、上半身裸ですから。
これが女の子だったら問題になっていたと思います。
それでも、私はココはもしかしたら女の子なんじゃないかな?と疑問に感じてしまいました。
それは、まず声優さんがまず女性であり、声自体も女の子に限りなく近い為です。
誰がどう聴いても女の子の声だったんですよね。
さらに、ココの髪の結い方や優しい性格、テーマになっている「繋ぐこと」から連想するのは女性っぽさ。
ココはポケモンが倒れているとすぐに駆け寄り、なんとか治そうと試みます。
この作品は本当は父と娘を題材にしたくて原作を作ったのではないかな~と勝手に考察してみました。
サトシがさわやかに
主人公のサトシは、私の記憶ではもっと男らしい感じの顔だったはず。
昔のサトシくん
目がキリッとしていて性格も男寄り。
しかし「劇場場ポケモンココ」では顔面がさわやかに、可愛くなっています。
最近のサトシくん
さらに性格も優しくなっていて、全体的にまるくなった様子。
個人的に少しだけ気になったところ。
作画について
ココは2021年の映画です。
作画も最新。
さすが有名なアニメ映画だけあって映像はすごくきれいです。
特に水の描写や、のちに現れる突然のメカの3Dのなめらかな動きも見物です。
サトシと母がスカイプみたいな通話デバイスで会話
映画の序盤でサトシと母がiPadみたいなタブレットで会話をします。
通話をする 切る みたいなタップボタンがあり、インタフェースはSkypeをモデルにしたような感じ。
レッドのときはそんなものがあったかな?
部屋にあるのはWindows98だった思う。
と時代の流れを感じた。
ザルードの力
ザルードには種から植物を生やす能力があります。
父のザルードは特にこの力が強いのか、他のポケモンがケガをしたときにココに頼まれて治療をします。
この力を使うとすごく疲れるんだそう。
ザルードに備わっている力は、自然を力で支配する能力ではなく、生き物を守る力なんだなと悟りました。
仲裁をするココ
森にすむポケモンとザルード達の対立は長く続いていました。
ココはポケモン同士が助け合う意味を自然に見出し、対立をなくそうとします。
傷が治る泉
巨木から流れる泉、どんな傷でも治せるんだそう。
ザルード達はこの巨木を占拠しています。縄張りとして、他のポケモンを寄せ付けません。
のちに幻のポケモンピンクのセレビィが現れますが、この森の守り神と何か関係があるのではと感じざるを得ません。
セレビィについは後述します。
このあたりから、私はこう読みました。
「ははぁ、きっと最後に父ちゃんが最後の力をふり使って子供の傷を回復させて息絶えるんだな。」
と。
ですが、読み通りではなかったです。
突然のメカ
メカを操作するのは研究所の人たち。
タチコマを極限まで補正したような形のロボが森を縦横無尽に走ります。
目的は神秘の巨木を調べるため。
研究所所長のゼットが悪いやつだという描写が出てきます。
研究所所長ゼットの心境について
ゼットはもちろん悪い人間です。
「自分が正しい」ことを主張したい欲が強すぎて、誰かを殺したり研究のために犠牲はとわない卑劣な人間です。
でも、本当にそれだけなのかな?と感じたんですよね。
研究熱心なのは確かにそうだけど、目的は神秘の巨木。
巨木は何ができるのかというと、治療ができるというもの。
もしかしたら所長のゼットはだれかを治したくてずっと巨木の研究をしていたのかなと考えました。
例えば妻や子供が病気でそれを治したくて熱心だったとか。
目的が傷を治す泉だったことからそんなことも考えてしまいました。
父の姿
親ってなんだろう?
との父ザルードは自分の胸に問います。
なんとも素直な言葉で胸に突き刺さりました。
多分、子育てされている現代の人達も同じように感じたこともあったと思います。
無償の愛で、いくら奉仕しても報われないことがあったとき親ってなんだろう?と腹立ちを感じることもあるかと思います。
父のザルードは自分の身の危険をかえりみず、研究所のロボからココを守ります。
そんなとき、気づくんですよね。
自分よりも大切なものができて守れたら親なんだ、と
とてもあったかい気持ちになりました。
- 金銭的に豊かにする
- 良い暮らしをさせる
- 良い環境をつくる
というのは子供を育てるうえで大切だとは思いますが、一番大切なのは子供を守れているかどうか、大切と想えているかどうかという心の問題だなと思いました。
心に沁みるメッセージでした。
私の父は、病人だったにも関わらず私が幼い頃プールでおぼれたときにすぐに助けてくれました。
ポケットの中には財布が入っていたのにも関わらず、すぐにプールへ飛びこんだんですよね。
口数が少ない父で、お酒の飲みすぎで働けなくなり家族に迷惑をかけた父ではありましたが、私の父に息子への心がなければきっと私はこの世にいません。
だから、劇場版ポケモンココをみて本当の意味では私の父は、父親だったんだなとあらためて認識させられました。
巨木が破壊される
ついにロボが巨木を破壊します。
治療ができる泉は、巨木のなかの成分が流れ出してしまい、ただの泉と化してしまいました。
ココはロボに傷つけられて死にそうになっている父を回復させようと、泉へ行きます。
ココの能力について
ココは自分は「ザルードの息子だから、回復させることができる」と言って力をふりしぼって父を回復させようとしますが、他のザルードたちは「それはできない」と言います。
ココが人間だから特別な能力はない、つまり回復させることができないということですね。
しかし、奇跡が起きて父ザルードの傷は回復します。
私はただただこう思った。
「なぜ・・・・?」
ここからは私の考察です。
劇場版ポケットモンスターココの謎・なぜココは治療できた?
この映画の最後に、ピンク色のセレビィという幻のポケモンが登場します。
そのあとに、父ザルードがつけていたココが赤ちゃんだったころに着けていたピンクの布がセレビィの形をしていた描写があります。
ここから逆算してピースをあてはめてみました。
ピンクのセレビィは森の守り神です。
その守り神のイラストが描いている布をココ(赤ちゃん)が着けていた。
ということは、何か関係があるに違いありませんよね。
実は巨木をスキャンしたときに中心にあったエネルギー反応はピンクのセレビィの力で、ココの両親がそのサンプルを研究でココに打ったのではと考えました。
つまり、ココの両親が悪者なのでは?という説が浮き出てきたんです。
ココの両親は本当は悪者?
ココの両親によってセレビィの力を注入されたココ。(もしかしたらココが病気で亡くなりかけていたのかも?)
それを知ったゼットは、ココを狙うことに。
ゼットがココの両親を車で追いかけていたのは自分の正しさを証明したかったわけではなく、ココの力(泉の力)が欲しかったためかなと。
その後、ココの両親が事故でなくなりかけて瀕死だったのにも関わらず、都合のいいカプセルでココを保護します。セレビィの布を巻いて。
布を巻いた理由は拾ってくれた人が布の意味を理解してくれるだろうとココの両親は考えたことなのだと思います。
しかし、布を拾ったのはココではなくポケモンだったために作中では布に関して触れられていません。
最終的にはココには微量の泉の力が備わり、父を回復させることができたのではないかと。
結局のところ、ココの能力に関しては説明はありませんでしたので、憶測でしかありませんが。
ザルードの祖先はピンクのセレビィ?
ザルードとピンクのセレビィ。
全然似てないかと思いきや、実は形が似てるんですよね。
セレビィの頭がほどけたような状態が、ザルードの頭(髪?)に見えて仕方がありません。
もしかしたらザルードの祖先はピンクのセレビィなのでは?と考えました。
ピンクのセレビィは森の守り神であることから、巨木の中身のエネルギーと深く関わっていたことも考えられます。
そうなるとザルードの守る力ともよく似ています。
もともとはピンクのセレビィから悪い魂が派生して、力で支配しようと考え始めたのがザルードだったのではないのかなと考えました。
長老はかなり長生きしています。悪い魂の元は長老だったのかなと考えました。
もう1つ ん?とおもったシーン
最後の場面でココは旅立ち、父ザルードはピンクのセレビィについていきます。
父ザルードは祖先の時代(争いがない時代=セレビィがいた時代)に戻したい気持ちの表れなのかなと感じました。
セレビィから派生した悪い心を持ったザルードたち。
どんな良い親でも、悪い心を持つ子供が誕生する可能性はあるし、逆に悪い子が年齢を重ねて良い心を取り戻すこともあるというメタファーを、映像を通じて伝えているのではと思いました。
映画の理解力について
いや、実はこれまで映画なんてほとんど理解ができなかった私。
頭が悪いから
なんて単純に考えていましたが、そうじゃなかったみたいです。
集中力が途切れるのは頭で考えすぎていて、映画に対して愛情や心、やさしさが欠如していたんだな~とやっと理解しました。
子供の頃をワクワク感を少しずつ取り戻せるようにもなりました。
心ってほんとうに大事だな。
そんなことを考えさせれた映画でした。
最後までありがとうございました。